『川越さつまいも地蔵尊』建立30周年を振り返って
- 2024/10/21
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『川越さつまいも地蔵尊』建立30周年を振り返って(戸田周一)
①なぜ、川越さつまいも地蔵尊を建立したのか?
川越いも地蔵は、今から30年前の平成7年(1995) 9月に建立しましたが、その年はサツマイモにとって記念すべき「ふしめの年」でした。太平洋戦争終了 50周年でもありましたが、琉球(沖縄)にサツマイモが中国より伝来(1605年)してから390周年、関東地方に青木昆陽が導入(1735年)してより260周年という年でもありました。
川越いも地蔵ができたキッカケは次のようなことでした。
川越いも友の会が昭和62年(1987)に全国から公募して「10月13日をサツマイモの日」として宣言しました。その日を盛り上げ、川越いもの振興をはかるため友の会内部に「サツマイモの日振興部会」ができ、その部会を母体に、川越のイモ関係業者約30軒を集め、平成6年(1994) 6月に「川越サツマイモ商品振興会」を発足させました。その会の代表になったのが、当時、戸田製麺・舟運亭を経営していた私(戸田)でした。
初年度の平成6年は、イモパワー週間と名付けて、商品振興会の各店を巡るクイズラリーでしたが、「どうしたら、毎年ずっと振興イベントが続けられるか」を考えました。東京の巣鴨にお地蔵さまがあり大変にぎわっていることもヒントになりましたが、或る集まりがあったとき、当時、川越市の商工観光課長の中島亮忠課長(妙善寺住職)と川越商工会議所の関根専務と一緒になり、川越いもを更に盛り上げるため中心的なシンボルをつくったらどうか、という話題になりました。関根専務が「それなら、いも稲荷をつくったらどうか」とアイデアを出したとき、中島課長は「うち(妙善寺)ならいも地蔵ができるよ」といわれました。
そのひとことをキッカケとして、商品振興会の世話人に相談し、皆より寄付を集め、石材店にも相談に乗ってもらい、中島住職の心よい承諾も得て、平成7年 9月14日に「川越さつまいも地蔵尊」を建立して、各関係者に集まってもらい開眼供養を行いました。
その年から10月13日のサツマイモの日には、日頃お世話になっているサツマイモに感謝するための「いも供養」を妙善寺で毎年行っています。
②おいものきずなを大切に!
川越地方は約270年のサツマイモの伝統がありますが、サツマイモは健康食品でもありますので、「おイモを食べて、より健康に」との想いと、川越地方でイモを商売にしている多くの方々が、これからも、おいもをきずなにしてイモヅル式に、末長く幸せに続くようにと願っています。
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