川越地方サツマイモ商品文化世界一宣言!山田英次さんインタビュー■Sweetpotato Interview vol.4
- 2024/4/20
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サツマイモまんが資料館長でありサツマイモ文化研究家の山田英次先生。40年間に亘る川越のサツマイモ文化活動の多くは山田さんの企画力により生まれました。その湧き出でる豊かなアイデアの源泉は?興味津々のインタビューとなりました。
山田英次(やまだ・えいじ)
サン文化企画研究所代表(企画実践コンサルタント)、サツマイモ文化研究家、サツマイモまんが資料館長、イラストライター。 1952年川越生まれ・川越育ち。1982年より川越のサツマイモ文化活動に関わり、現在、川越いも友の会事務局長、川越サツマイモ商品振興会事務局員、日本いも類研究会役員、一般財団法人いも類振興会評議員、さつまいもカンパニー(株)顧問など。 著書に、『川越いもQ&Aガイド』(1987年)、『小江戸川越おいも探訪』(1996年)、『ニューさつまいも物語』(1991年)、『イラスト吉田弥右衛門物語(共著)』(2001年)、『イラスト紅赤いも歴史物語(共著)』(2017年)、『紅赤120年の魅力(共著)』(2018年)、『イラスト赤沢仁兵衛物語』(2020年)など。
「川越地方サツマイモ商品文化世界一宣言」をされた経緯から教えてください。
伝統品種「紅赤(べにあか)」発見120年記念の年の、2018年8月30日に川越サツマイモ商品振興会・川越いも友の会・川越いも研究会・三芳町川越いも振興会の4団体が一緒になり、『川越地方のサツマイモ商品の種類の多さと、その歴史文化の奥深さで世界一』の宣言を行いました。
ベーリ・ドゥエル先生、井上浩先生のインタビューにもありましたように、主に旧川越藩だった川越地方の武蔵野台地の畑作地帯で栽培されるサツマイモを、「川越いも」と呼びますが、その川越いもは約 270 年の長い歴史があり、今もその歴史的ブランド名は健在です。
川越地方がサツマイモ栽培の大生産地だった過去に比べ、現在の生産量は 10 分の 1 以下にもなってしまいましたが、川越の観光地を歩けば、数多くの店で驚くほど多種多様なサツマイモ商品が売られています。
2018年春に調査したところ商品数で約300種類、扱っている業者も220~230軒ありました。とにかく商品の種類がたくさんあって、毎年ごとにいろんなサツマイモ商品が出てきて、私も全部把握ができていないのです。またイモ菓子商品だけでなく、川越地方の特色は、サツマイモ料理を出す店が何軒もあるということです。特に、いも膳の高級和食料理「いも懐石」が代表的ですが、その「いも懐石」は約30年間ずっと業界では有名ですし、それ以上のイモ懐石料理を超えるイモ料理は全国的にいまだ現れていません。令和になってからもサツマイモを扱う店はさらに増えています。井上浩先生も紹介されていた文化財的な川越の伝統菓子「芋せんべい」も、根強く約110年以上も製造され続けています。
川越いもの本場・三芳町上富には日本で唯一の「いも街道」があり、120 年も続く文化財的な伝統品種「紅赤」を各農家が積極的に生産保存しています。「川越いも作り始めの碑(所沢市南永井)」や「甘藷乃神(イモ神社:所沢市中富)」などのサツマイモに関する史跡もあり、文化的な行事である「世界一のいも掘りまつり(三芳町上富)」や、川越駅そばの妙善寺では、約25年以上前より10月13日のサツマイモの日に「いも供養」なども行っています。最近では、12月1日(紅赤の日)に、川越の氷川神社で川越地方のイモ商品文化をアピールする「いも神事(献芋式)」も行っています。
川越市のゆるキャラ「ときも」は「紅赤」をモチーフにしていて、とてもユニークです。世界で唯一の「サツマイモ資料館」(1989~2008年)が、いも膳の敷地にあったころには、国内はもとより世界各国からサツマイモ関係者が視察に訪れました。今でも、サツマイモで町を活性化したい生産地から、商品化のヒントや活動の方法、情報などを求めて視察にやってきます。
川越地方は、その歴史的・伝統的な文化の上に観光も加わって、サツマイモ商品文化の幅広さと奥深さが、その特長として花開いています。世界的に見ても、他に類を見ない特徴的な地域だと、日本を代表するサツマイモ研究者からも評価されているのです。
「川越いも友の会」について教えていただけますか。
1984年に井上浩先生、ベーリ・ドゥエル先生と一緒に約40名で立ち上げました。
消費者、農家、製造業者、小売店、教師、研究者など、職業や地域などを問わず市民が参加できる文化運動グループです。当時から、もちろん川越はイモで有名で、その頃川越で何が有名かアンケートをとったら、川越まつりと共にサツマイモでした。しかし、川越生まれの私たちも、なぜ有名なのか知りませんでした。
ドゥエル先生のインタビューにもありましたが、当時はサツマイモの地位やイメージがとても低かったのです。川越いもの生産量も減っていく中で、川越地方のサツマイモ生産や歴史を守ろうと、文化活動として市民レベルの保存運動を始めたのです。
私は当時、川越市の職員で社会教育を担当していました。今年で、川越市は市制100周年ですが、1982年は市制60周年で、地域を再発見する社会教育事業として、福原公民館で川越のサツマイモに関する市民向け地域発見カレッジ「さつまいもトータル学」(歴史文化、品種・栽培、イモ掘り体験、イモ料理、イモ菓子づくりなど)を企画開催しました。
これが私のサツマイモとの関わりの始まりです。
あらためて「川越いも」について教えてください。
川越地方では1751年に現在の所沢市南永井の名主・吉田弥右衛門という人が、上総の志井津村(現在の千葉県市原市椎津)からサツマイモを導入したのが始まりです。江戸時代後期には、江戸庶民の空腹を満たすおやつとして焼き芋が大人気となりました。もちろん、上総国(千葉県)などでもサツマイモが生産されていましたが、川越地方のイモが特においしいとされ、江戸の名物番付表にも「川越はサツマイモ」と掲載されるほど有名になりました。関東ローム層の武蔵野台地の畑作地帯は、水はけのよさと、土づくりのために平地林の落ち葉堆肥をすき込んできた柔らかな土壌が、おいしいサツマイモを生み出すひみつだと考えられています。
秋に収穫してからは、昔から穴蔵などの地中や、現在は貯蔵庫などで一定期間貯蔵し、熟成させて甘味を増すようにして出荷する工夫(「囲いイモ」と呼ばれた)も、伝統的にされてきました。
江戸時代後期から明治時代にかけて、川越イモの人気は続きました。昭和期になっても戦前は、埼玉県として全国的に有数のサツマイモ大生産地でした。その埼玉県内での生産地は、武蔵野台地と大宮台地の畑作地域でした。当時は小麦との輪作で作られました。サツマイモと小麦は非常に相性が良かったのです。
余談になりますが、うどんといえば香川県のイメージが強いですが、昔は、埼玉県は小麦の大生産県でしたから、その地場(武蔵野地方)の食文化として「武蔵野うどん」が有名で、今でもその歴史文化から、うどんの生産量で香川県に次ぐ第2位の県となっています。
戦後、千葉県や茨城県はサツマイモの生産は続きましたが、埼玉県は、都市化の波と共に青物野菜や根菜類、サトイモ等へ転作したため生産量は減っていきました。今では、サツマイモの生産量1位は鹿児島県、2位は茨城県、3位は千葉県で、埼玉県は10位以下です。県内で主に生産されているのは川越地方です。
生産量が減っても「川越いも」の伝統ブランドはなぜ今日まで維持できたのでしょうか。
なぜ有名でありつづけられたのかというと、江戸・明治時代からのブランド力もあるし、また実際この地域はサツマイモを作るのに適した土壌と、生産者さんの知恵と努力で、食べておいしいイモをつくり続けられたからです。
そして、戦後直後より先進的な試みがありました。
イモ掘り観光体験農園は、川越市今福の坂本長治さんという方が昭和28年頃より始められたのですが、昭和30年~40年代に盛況となりました。(戦前にも昭和初期頃には、芋掘り行楽という事業はありましたが、それは主に鉄道会社が主導しました。農家が主体となって体験農園としたのは、たぶん今福の坂本さんが先駆者だと思われます)。その後、イモ掘り観光農園が首都圏各地にも普及し、交通事情も悪化し、川越でのイモ掘り観光に来る客数も徐々に減り、観光農家の軒数が少なくなっていきました。現在では、今福中台の芋掘り通り沿いには、4軒ほどが残り、芋掘り観光農園の伝統文化的な保存のために営業を続けています。
今から約40年前の昭和57年頃は、川越のイモ菓子といえば、芋せんべいと芋納豆と芋松葉、黄金芋くらいの数種類しかありませんでした。その後、マスコミなどのテレビや雑誌などの影響もあり、川越の古き街並みに観光ブームが起こると、川越の蔵造りの街並み通りや喜多院などへの観光客が段々と多くなり、お客も川越に来たら、食はサツマイモだということになり、いろいろな地元業者さんがイモ商品を扱うようになりました。いも膳さんも、川越へ来た観光客へ「おいも料理を食べさせたい」との思いから、その頃にオープンしました。
私たちの「川越いも友の会」が主体になって、イモの文化活動や情報発信を積極的にすることによって、地元業者のイモ菓子の種類がどんどん増えて売れるようになり、そのことが観光地化に拍車をかけていきました。
とにかく市民レベルの文化活動をやることで、「イモの復権」ということで、マスコミ等で大きく取り上げられるようになり、以前からイモ菓子を扱っていたお店も爆発的に売れるようになりました。
菓子屋横丁も、観光ブーム前は今ほどの注目を浴びていませんでしたが、観光化の大きな波に乗り、お客さんへいろいろなイモ菓子を売るようになりました。業者はそれぞれ自主的に商品を開発していきましたが、1994年には川越いも友の会内の業者が集まり「川越サツマイモ商品振興会」(約30軒)を立ち上げました。
「サツマイモの日」も発案されたのですね。
昭和62年(1987)に全国から募集して、川越いも友の会が「サツマイモの日(10月13日)」を選考して制定し、全国に向けて宣言しました。
それから8年後の1995年には、川越サツマイモ商品振興会が市内の妙善寺に「川越さつまいも地蔵尊」を建立し、毎年10月13日に「いも供養」を執り行っています。
今では、このサツマイモの日は全国的に公認されています。
「川越いも」の歴史には3つの波の時代があると言われています。まず第1の波は、江戸・明治時代の焼き芋ブームで、原料となる焼き芋用のイモとして生産量が増えて「川越いも」のブランド名を確立した約200年間の時代です。次の第2の波の時代は、戦後のイモ掘り観光農園で「芋掘りブーム」が栄えた時期。第3の波の時代は、昭和57年からの「川越いも友の会」などによるイモ文化活動や情報発信活動により、小江戸川越の観光ブームにのり、イモ商品文化が花咲く町になった現代までの時代です。
サツマイモまんが資料館のイラストも全て山田先生の作品ですね。どうすればこのような上手なイラストを描けるでしょうか。
小さい頃から絵やまんが好きで、気に入った絵や漫画作品を、一生懸命に真似して描いていました。
まずは、自分の好きな絵や漫画を模写していくことからスタートすることが基本ですかネ。
ただ、絵の上手な人は、この世の中にたくさんいますから、やっぱり上手だけでは行き詰まってしまうと思います。例えば、サツマイモを描くとすれば、まずはその対象物であるサツマイモをよく観察すると共に学習して、実感することですかネ。おいものキャラクターとかゆるキャラとか、全くなかった40年前から、様々なおいもキャラクターを描き続けてきました。そのほかにも、昔は川越の観光協会などの団体や個人からイラストや案内マップ、似顔絵なども頼まれて描いてきました。
ゼロから1を生む(ゼロイチ)の企画力、その発想力のポイントを教えてください。
発想法には多くの種類がありますが、ひとつご紹介するとすれば、簡単な方法として「3つの要素をとらえて表現する」ことですね。昔から「3の思考法」とも呼ばれていますが、あらゆるものを観察すると必ず3つのファクターがあるんですよ。
例えば、時間は「過去・現在・未来」の3つに分かれます。物理的な空間を捉える場合は「縦・横・高さ」ですよね。水は0℃以下で氷の個体、常温で液体、100℃を超えれば水蒸気になります。原子も、陽子・中性子・電子から構成されますし、私たちの生活にとって太陽・地球・月の3つの天体の関係が重要で、一日は朝・昼・夜で区分されます。人生も青少年期・成年期・老年期の時代に大きくわかれます。栄養成分の主な基本要素は、炭水化物・たんぱく質・脂質の3つです。人間とって、生きていくために摂取しなければならないものは、栄養成分である食事と共に、水、そして酸素(空気)の3つです。
世の中のいろいろな現象は、3つに大きく分解できるので、まず3つの視点から捉えることがポイントのひとつだと思っています。
例えば、お芋の比較表をつくる場合は、多くの芋類の中から、ジャガイモ、サツマイモ、サトイモ、というふうに3つの代表的なイモを取り上げて作成しました。3つを比較することによって、おイモに対する理解がしやすくなると思っています。
仕事に対しても、通常の自分からの視点に加えて、相手からの視点、さらには社会的および客観的な視点と、3つの目でみることをお勧めしています。よく「虫の目(ミクロの細部を観る)」「鳥の目(マクロの全体を観る)」「魚の目(トレンドの流れを観る)」の3つの目が重要だと言われていますが、そうやって世の中の事象を3つの多角的な視点で観察すると、新たに見えてくるものがあると思っています。
これからのイモ活動についてどのようにお考えですか。
川の流れになぞらえて考えてみると、川上がサツマイモの育種や品種改良であるとすれば、最後の川下がサツマイモ商品になるのだと思います。私のこれからのイモ活動は、消費者心理や地域の食文化やマーケティングも含め、商品開発へと続くよう、さらなる貢献をしていきたいと思っています。
今、農地の休耕地などでサツマイモを作ろうという地域活動が増えていますが、作ったサツマイモをどう活用してよいかわからない。サツマイモによる地域活性化策を含めて、幅広く提案やアドバイスをしていきたいと考えています。
「サツマイモまんが資料館https://sweetpotato.info/about/ 」は情報発信の拠点です。蔵造りのまち(一番街)にある紋蔵庵店舗の2階に、私のイラスト漫画中心のパネル展示と、テーブルを囲んでレクチャーを聴く「川越いも学校」の活動や、楽しくおいもの会話をして交流する「おいもサロン」も行っています。
一般的な博物館や資料館の展示は専門的でわかりにくかった方にも、たのしみながら学んでいただけるように工夫しています。みなさん、どうぞ是非、一度ご来館ください。
今後、サツマイモに関する情報のネットワーク化も重要です。情報交換がまだまだ足りないのです。世界でサツマイモ生産量のナンバー1が中国で、日本は10番くらいの生産量です。アメリカでも日本の倍くらいの生産量があります。しかし、加工製品とか品種のレベルは日本がトップクラスです。そのアドバンテージは有効に活かすべきですし、その情報を求めている人が世界中にいます。
「川越地方のサツマイモ商品文化は世界一」です。そこに誇りと自負を持って、海外からのサツマイモ商品視察の受け入れ、サツマイモの商品文化、加工製品のお互いの情報交換や共有化が益々重要になると考えています。さつまいも大学にも、ご一緒に情報共有に取り組んでもらえたらと思っています。
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